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質量も形もない彫刻 - 映像作家: teamlab
Art workInstallationMovie

質量も形もない彫刻

2020 ~
00:01:24
浮遊する巨大な彫刻は、泡の海から生まれ、質量の概念を超越し、地面に沈むこともなく、天井まで上がりきることもなく、空間の中ほどを漂う。この浮遊する彫刻の存在の輪郭は曖昧で、千切れて小さくなったり、くっついて大きくなったりする。人がこの彫刻に身体ごと入り込んでも存在は維持され、人々によって壊されても、自ら修復する。しかし、塊は、自ら修復できる範囲を超えて破壊された時、修復が追いつかず崩れていく。そして、人々が押したり、横にのけようとしても、この彫刻を動かすことができないし、人々が風をあおげば、彫刻は散り散りになってしまう。人間の物理的な行為では、この彫刻を動かすことすらできない。 石ころや、これまで人間がつくってきたものは、物体であり、物体はそれ自体で安定的な構造をもつ。石ころは、外界から遮断され密封された箱に入れても存在し続ける。 一方、海に生まれる渦は、閉じた箱に移すと一瞬で消えてしまう。つまり、渦は、それ自体で安定した自らの構造を保っていない。渦は、環境が生む流れの中にある存在であり、渦の外部から内部へ、そして内部から外部へと流れ続ける水によってつくられる。その流れが生んだ秩序を持つ構造によって渦は維持され続け、流れと共に変化する。そして、その存在の輪郭は曖昧で、渦も渦の外側も水でできており、その物質的な違いは一切ない。 物体ではなく、特別な環境を創ることで、その環境が生んだエネルギーの秩序によって存在を創る。そのエネルギーの秩序による存在を「Higher-Order Sculpture」と呼ぼう。それは、環境とは切り離せず、環境変化とともに変化する。これまでの物体による存在の常識を超越し、中空に存在を維持し、存在の輪郭が曖昧である。人がその存在の中に身体ごと入り込んでも存在が維持され、壊れても自らの存在を修復する。 開いた系を前提とした彫刻である。 この空間には、物質は、水と空気とごく普通の石鹸しか存在していない。 空間を泡で埋め尽くし、特異な環境を創り、空間にエネルギーの秩序を生み出す。そうすると、泡の海から巨大な塊が生まれ、浮き上がり、中空に定常する。 現在の生物学上は、生命の定義を厳密に行うことはできていないが、便宜的に、細胞を構成単位とし、代謝し、自己増殖できるものを生物と呼んでいる。つまり、全ての生物は、細胞でできている。そして、全ての細胞は、脂質二重層で構成された細胞膜で包まれている。二重層の外側は親水性、二重層の層と層の間は疎水性で、包んでいる袋の外側も内側も水である。石鹸の泡も、同じように、脂質二重層の膜に包まれていて、この彫刻を構成している泡は、構造的には細胞膜と同じである。ただし、泡の二重層は細胞とは逆に、二重層の外側は疎水性、二重層の層と層の間は親水性になっているため、袋の外側も内側も空気である。つまり、細胞が水中の袋状の膜であるならば、泡は空気中の袋状の膜である。 この彫刻は、生物の構成単位である細胞と同じ構造の物質と、環境が生んだエネルギーの秩序によって創られている。 生命も、外部から食物として物質とエネルギーを取り込み、物質を排出し、エネルギーを外に散逸させながら、秩序構造をつくりあげている。生命は、渦と同じように、外部環境が生む物質とエネルギーの流れの中にある存在であり、その存在の輪郭は曖昧なのである。 生命の構造は、その流れがつくるエネルギーの秩序であり、生命は、物質とエネルギーの流れの中にある奇跡的な現象かもしれないのだ。 作品ページ:https://www.teamlab.art/jp/ew/masslesssculpture-kyoto/kyoto/
つかまえて集める絶滅の森 - 映像作家: teamlab
Art workInstallationInteractiveMovie

つかまえて集める絶滅の森

2025
00:02:15
自らの身体で探索し、発見し、捕まえ、観察し、知を集め、好奇心を広げていくことをコンセプトにした教育的プロジェクト。 絶滅の森には、絶滅した動物が住んでいる。動物に近づいたり、触ったりすると、逃げたり、振り向いたりする。様々な種類の絶滅動物を捕まえ、観察し、自分のコレクション図鑑をつくっていく。 スマートフォンのカメラで、空間を歩いている動物を見て、そのカメラに映っている動物に「観察の目」を放つと、現実の空間に飛ぶ。「観察の目」が動物に当たると空間からその動物は消え、自分のスマートフォンに入り、コレクションされる。 捕まえた動物を、カメラで見えている場所にスワイプすると、リリースされ、その場所に戻る。 また、好きな場所で「観察のあみ」を投げ込むと、足元に「観察のあみ」が張られる。まわりの人々と協力しながら、身体を使って、動物を「観察のあみ」に追い込むと、動物は空間から消え、同じように図鑑にコレクションされる。 コレクション図鑑は、同じ動物でも、捕まえれば捕まえるほど、より詳しい情報が書き込まれていく。 作品ページ:自らの身体で探索し、発見し、捕まえ、観察し、知を集め、好奇心を広げていくことをコンセプトにした教育的プロジェクト。 絶滅の森には、絶滅した動物が住んでいる。動物に近づいたり、触ったりすると、逃げたり、振り向いたりする。様々な種類の絶滅動物を捕まえ、観察し、自分のコレクション図鑑をつくっていく。 スマートフォンのカメラで、空間を歩いている動物を見て、そのカメラに映っている動物に「観察の目」を放つと、現実の空間に飛ぶ。「観察の目」が動物に当たると空間からその動物は消え、自分のスマートフォンに入り、コレクションされる。 捕まえた動物を、カメラで見えている場所にスワイプすると、リリースされ、その場所に戻る。 また、好きな場所で「観察のあみ」を投げ込むと、足元に「観察のあみ」が張られる。まわりの人々と協力しながら、身体を使って、動物を「観察のあみ」に追い込むと、動物は空間から消え、同じように図鑑にコレクションされる。 コレクション図鑑は、同じ動物でも、捕まえれば捕まえるほど、より詳しい情報が書き込まれていく。 作品ページ:https://www.teamlab.art/jp/ew/collecting-forest-planets/planets/
質量のない太陽と闇の太陽 - 映像作家: teamlab
Art workInstallationInteractiveMovie

質量のない太陽と闇の太陽

2022〜
00:01:45
私たちは、見ている世界を認識しているのではない。私たちは、認識している世界を見ている。 無数の光の球体群。人々が光の球体に近づくと、強く輝き、周辺の球体も次々と呼応し連続していく。視野を広げてじっと見ていると、闇が凝固したかのような闇の塊の球体群も現れはじめる。 しかし、これらの光と闇の球体群は存在しない。闇の球体群は、カメラにすら写らない。 光の球体表面にガラスなどの物体は何もなく、この球体は光だけでできている。物質的な境界面はなく、球体と身体との境界の認識は曖昧である。 しかし、この宇宙では、光は凝固せず、光だけで球体状の塊になることはない。つまり、この光の球体は存在しない。 この球体は、物理世界には存在せず、認識世界に存在する彫刻「Cognitive Sculpture / 認識上の彫刻」。マテリアルは、光と環境、そして身体と認識。体験者自らの動的な身体と認識によって形作られ、体験者自身の認識世界に出現し、存在する彫刻。 認識上存在する時、それは存在である。 そして、球体はそれ自体では認識世界にすら存在できず、環境が生み出している。環境がつくる現象が作品の存在である。 作品ページ:https://www.teamlab.art/jp/ew/masslesssuns-phenomena/phenomena/
あみをうね - 映像作家: isshin
2D animationAnimationArt workMotion graphicsOriginal

あみをうね

2025
00:00:23
今作では楽曲においては、音の片鱗までもれなく映像に反映するサウンドシンクロを徹底する原則を過去作品に引き続いて踏襲、及び恣意的な意味合いをもつシンボル的な形状や図画は一切用いずに、プリミティブな丸や四角を軸としたシンプルなモーショングラフィックスとしている。 従来の自主制作よりも、更に速い動きかつ破綻しないモーションの限界的可能性を探った作品となる。 ルックの面では、AppleのLiquidGlassから着想を得た過去作品に無い3D的なルックをフラットな2Dグラフィックに合成することで、3DCG作品では無いながらも現物感のある生々しい見た目を狙った。 高速なモーションに対しては視覚的に不利となる24fpsでありながら、モーションブラーなどには一切頼らずに残像感の無いキレのある視覚体験を目指した。 隣接フレームごとの明度差・色相差、および主観的な評価ではあるものシェイプ自体の変化量に一定のルールを設け、その閾値の違いによる印象の違いを検証することになった。 また個人的には昨今、カメラの移動に頼って映像全体の迫力や"情報量"を底上げする例が散見される印象がある。 今作では可能な限りカメラの移動は「同時にxyz軸における2軸以上を移動しない」原則に基づいた最小限とし、シェイプ自体のモーフィングによる魅力あるグラフィック遷移を主軸とした。 特に24fpsの高速モーションにおいてはいかに1秒が長いか、そして展開上必要な画を描くためのフレーム数がいかに足りないかを実感するものであり、そうした制約における限界の可能性を今後も探っていきたい。
Pre:あ - 映像作家: isshin
2D animationMotion graphicsOriginal

Pre:あ

2024
00:00:10
"あ(仮称)"とする作品を今現在制作中であり、その前フリ、伏線として制作したのが今作になる。 10秒程度の短い尺の中に、音楽から想起される優雅なモーションを存分に盛り込んだ。 今作及び次作(あ)は通常の自主制作と異なり、細かな意図や思考を度外視してただ純粋に 音楽から思い起こされた自分自身の素朴な感情を出来るだけそのまま表現することを主目的としている。 その結果、これまでは避けがちであったビビッドな黄緑をメインに据える鮮やかな色彩を設けつつ、 他はおおよそモノクロで固める事でより1色が強調される。 フラットでポップを基調とした現代的なモーショングラフィックスでありながら、 色ズレやノイズ等の後処理を多用し、豊かな質感表現を求めると共にこの一瞬の尺でもどこか温かみの感じられるギャップを狙った。 3秒付近では、トンネルを抜けた先で交わるX(ボウリングのストライク記号)から立体回転に遷移するといった錯覚のような表現を試みた。なお、昨年2月の自主制作"Glancent"でも後半で2Dグラフィックがシームレスに立体構造に遷移する似たような接続を行っている。こうした"錯覚"的表現はあまり2Dシェイプモーションの界隈では見かけない事もあり、今後積極的に考案していきたい。 短尺のシェイプモーションを交えて文字や画像、動画を絡めたモーショングラフィックスを 多用したCMだったり映像作品が一昔前より大幅に増えてきた今だからこそ、純粋な【シェイプだけ】 【2Dだけ】のモーションで出来る事にまだ余地はあるのか?  作り手も飽和しつつあり更にはAIの存在にも脅かされつつある昨今にただ手作りシェイプモーション を地で行く自分に更に出来る事は何があるのか? 原点回帰的ともいえる短尺一発シェイプモーションの可能性を探りたい。 エンドクレジットでは従来の【Music】表記が【つかったおんがく】になり、 【Video】が【今見とる映像を作った人】になっているように、これまでテンプレートとして 維持してきたフォーマットをも柔軟に逸脱し、今後の新たな作風への展望を示唆している。

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