映像作家100人 JAPANESE MOTION GRAPHIC CREATORS 映像クリエイター 映像制作会社

Motion Graphic Creators

Stopmotion

Shinobu Soejima

副島しのぶ

私の横たわる内臓
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私の横たわる内臓

2024
ある洞窟の中で覚醒したそれは、ヒトの姿をしているが、空虚な人形そのものだ。虫や動物、草に穀物など森羅万象と触れ合う中で、それは生命を分け与えられ、個の精神を獲得し、生と死の循環を悟っていく。 本作は、日本の民間信仰である胎内潜りと、その霊性的な空洞世界を舞台にした映像詩である。日本語の「胎内」は臓器を指すだけでなく、仏像内部の空洞をも意味しており、そこはあらゆる生命体の始まりの場所であり、死後の安楽地のような、神秘的でどこか暗い、無限の空白が存在している。そこでは生物と物質の境界線は溶解し、内界と外界(ウチとソト)は絶えず反転し続ける。 自分の内臓は他人の内臓になるかもしれない、あるいは他人の内臓は私の内臓になるのかもしれない。私は他者であり、他界が私である…。 私はこのような現象を「内と外の循環 Inside Out/Outside In Cycle」と呼ぶことで、主体と客体、人間と非人間、といった二項対立的な構造を分解し、私たちの肉体を取り巻く環境との混濁した関係を可視化する。今日の私たちは、対岸の他者と接続する術を必要としているのではないのだろうか。 本作は、人形を主体に動かしながら、経年劣化の伴う有機物(米や稲、生肉、動物の毛皮)や、生きた虫(ハナムグリ)など、本来立体アニメーションとして動かすには不向きな「コントロールしにくい素材」を積極的に取り入れている。生きた虫はカメラの前で独自に動き、有機物は時間が経つにつれて経年劣化や形状変化をする。アニメーションは仮現運動による錯覚の芸術であるとされているが、私は、この素材たちの自発的な動きも、生気的な意味におけるアニメーションの一種であるとして、表現に取り入れている。 また、人形や有機物をアニメートする中で、時に互いに干渉し、あるいは汚れることによって、肉体の一部がある一方に移ることがある。まるで、虫から人形に生命感が分け与えられるかのように、相反するもの同士の摩擦は境界を融和させていく。その境界線が捩れた空間に、錯覚を超えたアニメーションが生まれるのではないのだろうか。
Shinobu Soejima

副島しのぶ

私の横たわる内臓
AnimationArt workMovieShort filmStopmotionStopmotion animation

私の横たわる内臓

2024
ある洞窟の中で目覚めた人形は、黄金虫に導かれながらその深部へと進んでいく。人形は自分と同じ姿をした人々に誘われ、コミュニティーの中に招き入れられる。人形たちは米を食し、肉を解体し、虫や動物と戯れながら徐々に世界と共鳴していく。やがて主人公は洞窟の外へ続く出口を発見し、内と外、死と生の循環を知っていく。 本作は、日本の民間信仰である胎内潜りと、その霊性的な空洞世界を舞台にした映像詩である。日本語の「胎内」は臓器を指すだけでなく、仏像内部の空洞をも意味しており、そこはあらゆる生命体の始まりの場所であり、死後の安楽地のような、神秘的でどこか暗い、無限の空白が存在している。そこでは生物と物質の境界線は溶解し、内界と外界(ウチとソト)は絶えず反転し続ける。 自分の内臓は他人の内臓になるかもしれない、あるいは他人の内臓は私の内臓になるのかもしれない。私は他者であり、他界が私である…。 私はこのような現象を「内と外の循環 Inside Out/Outside In Cycle」と呼ぶことで、主体と客体、人間と非人間、といった二項対立的な構造を分解し、私たちの肉体を取り巻く環境との混濁した関係を可視化する。今日の私たちは、対岸の他者と接続する術を必要としているのではないのだろうか。

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