Music Visualization

【Movie】fui w/ innerscape by ITOAOI
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【Movie】fui w/ innerscape by ITOAOI

2026
00:06:16
この映像は彼女の音を聞いて浮かぶ直感的なVisitonと、彼女が生み出す音楽に対しての「詩」あるいは「コトバ」を共有してもらい、それら沿って、innerscapeとして映像制作しています。 このように記すと、かなり方法として技術化された説明になるので下記のメモを記しておきます。 - fuiさんは、「音楽をしている」という感覚ではなく、自分の内側にあふれる言葉ではできないものを音楽にのせているだけで、媒体は何だって可能だとおっしゃっていました。それは音楽が目的ではなく、内側にあるものを記録したり感じ取ったり、あるいは届いてほしい人に届けることなのかなと解釈します。実際彼女は「flana」という名義で、その内側のエネルギーや想いを乗せた物体(オブジェや身に着けられるもの)も作成しています。 かなり主観的な話で共感しづらいかと思いますが、 彼女の音を聞くと、私の内側が開く感覚や、若干夢ごこち、というか意識が遠のく感じがあります。(変性意識ってやつでしょうか?) 彼女の中から生まれたもの(それは音の形をしている) に一緒にのって、visionを作っていくこと。 それはなんだか、自分たちにとって祈りでもあり、一緒に潜っていく心の旅の放浪にちかかったです。 どこにいか/けなくとも、私の魂が精神が、音に導かれて、広がって自由に舞っていく𓍼𓂅....そんな心ゆく道のような感覚で、あっという間に映像ができました。
Capper – 深海 (Official Music Video)
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Capper – 深海 (Official Music Video)

2024
00:03:51
はじめてこの曲を聴いたとき、感情がばらばらに散らばって、 混乱と静けさが同時に胸の中に広がっていくのを感じた。 悲しみの中にある、かすかな希望。 凍った身体の奥で、消えずに揺れている小さな炎。 そんな矛盾した感情が「ただ、そこにある」こと―― それを、映像としてそっと掬い上げることから、この作品は始まった。 このミュージックビデオは、別れを起点とした、感情の旅路を描いている。 喪失を経験した心が、どのように揺らぎ、やがて受け入れへと向かっていくのか。 その内面的な変化を、色彩設計やライティング、構図の切り取り方、そしてリズムに合わせたカメラの動きで丁寧に織り上げた。 水に沈む部屋、誰もいない深海、夜の都市を駆け抜けるバイク―― そのすべてが主人公の心理状態を象徴し、内面の風景として立ち上がる。 照明には、直接的な光ではなく、反射やシルエットを多用することで、明確な“答え”よりも“余白”を残す表現を意識した。 カメラワークは、静から動へ、タイトからワイドへと波のように揺れながら、心の振幅を可視化するように設計している。 構成としてはストーリーラインよりも感情の流れに重きを置き、視聴者が「感じること」に集中できるように心がけた。 バラバラだった記憶や想いが、ひとつの心象風景として重なり合い、 やがて静かに、ぽとりと涙になる。 その水たまりは、もしかしたら、自分自身の涙でできた海なのかもしれない。 この映像が、観る人それぞれの中にある“深海”と、どこかでそっと響き合ってくれたら嬉しい。
Aisho Nakajima – Gangbang feat. Yohji Igarashi (Official Music Video)
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Aisho Nakajima – Gangbang feat. Yohji Igarashi (Official Music Video)

2024
00:02:23
この映像は、「欲望」という言葉が持つ曖昧さと美しさを、映像という身体で語る試みである。 Aisho Nakajimaの『GANGBANG』は、単なる挑発ではなく、人間の本能と親密さが交差する瞬間の賛歌であり、私はそれを“視覚のオーケストラ”として描こうとした。 舞台は、影と光が交錯する閉ざされた官能的な部屋。そこには性別やアイデンティティの境界が溶け合い、キスや抱擁がひとつの流動的な言語として立ち現れる。360度回転するカメラがゆっくりと空間を巡る中、観客はその世界に「覗く」のではなく、「共にいる」感覚へと導かれていく。 重要なのは、視線の正しさではなく、感覚の正直さである。 クローズアップを多用した撮影は、身体と身体の間に漂う空気や、目線の交わりに宿る脆さを浮かび上がらせる。 ライティングは極限まで絞られ、肌の起伏や息遣いを静かに照らし出す。 影はそのまま、欲望の余白となる。 『GANGBANG』は、誰かの性的な存在そのものをセンシュアルな美として肯定する視覚詩である。 それはポリティカルでもあり、同時にきわめてパーソナル。 「見せる」ことと「感じさせる」ことのギリギリを漂うことで、この作品は、私たちが“つながる”ということの意味を、もう一度問いかけている。

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