JACKSON kaki

JACKSON kaki

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OFBYFOR TOKYO
Profile
3DCGを用いたVR/AR/映像表現を行う。 学部生時代は社会学を専攻し、また自身の音楽活動によって培われた経験が、表象の根幹をなしている。
Biography
展示:「P.O.N.D.」(PARCO MUSEUM TOKYO、2020年) 「DIO C'E'」 (Ultra Studio, PESCARA、2020年)

Work

境界の泉
3DCGCGPerformanceVRXR

境界の泉

2022
00:23:40
JACKSON kakiはバーチャルリアリティー/メタバースと芸術についての作品制作を行う。本展示では、バーチャルリアリティーの時代における死体の考察をするべく、VRChatを用いたパフォーマンスを行い、その記録映像を作品として発表する。 メタバースは、多くの人がイメージできるほど、一般的な言葉となった。理想郷のように取り扱われるビジネス的・ツール的なメタバースを、JACKSON kakiは批評的に観察し、物理空間における身体・空間・社会・文化と結び付けて表現に取り組む。本作品は現象としての「死体」について着目した。 メタバースではアバターを用いて身体表現を行うことが可能となり、テキストや画像・動画の交換によって成立するSNSとは異なり、より没入的な体験や、現実とは異なるオルタナティブな人間関係を築くことができるようになった。アバターが用いられる空間において、死体はどのように人間に意識され、取り扱われるのかに疑問をもち、今作の出発点となった。 現在公開されている多くのメタバースにおいて、死体の「描画」または「プログラミング」は用意されていない。そのような状態を、死体に対する意識、及び認識が形成されていない(ある意味では退化した)文化と解釈し、芸術による考察と表現の実践として、この作品に取り組んだ。 その手段として、神話や神によって社会が形成された、かつての文明を引用し、現代のメタバースと関連付けた「物語」を創作する。そして、その物語に基づいた、死体を取り扱う「儀式」を構築し、その儀式を実演し、記録する。 メタバース空間でのパフォーマンスにおける身体と、死体の「取り扱い」を通して、私たちはバーチャルリアリティー時代において、死体をどのように意識し、認識するのかを問いかける。
存在している – JACKSON kaki Audio Visual Perfomance on MUTEK.JP 2021
3DCGArt workAudio visual performanceVRXR

存在している – JACKSON kaki Audio Visual Perfomance on MUTEK.JP 2021

2021
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MUTEK.JP 2021にて、VRゲームのオーディオビジュアルパフォーマンスの作品を制作・披露しました。 VRゲームをプレイすることによって、その空間内に配置されたサウンドを物理的なインタラクションやプログラミングによって発生させ、音楽を構築する作品です。 ビジュアル、サウンドだけでなく、身体・空間などの多層のメディアのレイヤーが複合的に重なることで表出される作品です。 == タイトル:『存在している』 この作品はバーチャルリアリティを活用した没入型のゲームアート作品であり、その発表形式としてパフォーマンスを採用する。このゲームは、実際にパフォーマー(作者自身)、もしくは鑑賞者がプレイすることによって仮想空間内での物理的な衝突など、インタラクティブな環境音が発生する仕組みになっている。発生した複数の「音」が重なり合うことによって、それらは偶発的な「音楽」となる。 サウンドはポストクラシカルや、現代のエクスペリメンタルミュージックに影響を受けている。我々が日常で耳にする機会が多い、リズム、メロディ、ハーモニーなどの要素を孕んだ西洋主義的な音楽から脱却し、新しい音楽の状態を作り上げた。 この作品を通して伝えたいストーリーのキーワードは、タイトルにもあるように「存在」「役割」である。私たちは生まれながらにして、組織、共同体などの中で役割を与えられ、その役割を担い、体現するコンテンツとして、社会における存在を認められているように感じる。しかし、ある人間が存在するということは、あらゆる自然科学の事象の組み合わせによってはじめて現前する、ある種の奇跡なのではないだろうか。 VRゲームのプレイを進めると、プレイヤーとアバター間の主従関係が徐々に崩壊していく。それは固定観念的な役割から一度解放させることで、「そこにいる、それだけで存在していることを肯定する」姿勢を表している。 従来のオーディオビジュアルのように形式化された、いわゆるクールなサウンド・ビジュアルとは異なり、その形式自体を問い直すようなこの作品は、一見生々しさや、いなたさを感じさせるだろう。しかし、それこそが「存在を肯定する」表象である。 これは、身体、音楽、映像、パフォーマンス、詩を複合的に組み合わせることによって、人間の存在について訴えかけるマルチメディア作品である。

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